広島大仏の歴史

■1201年(建仁のころ)

福昌寺(出羽国最上郡新庄)※今の山形県

福昌寺(出羽国最上郡新庄)※今の山形県

髙さが一丈三寸、膝の横幅八尺、顔の長さ四尺、総身金箔。後鳥羽天皇の第一皇子である土御門天王(つちみかどてんのう)の建仁元年(約700年前)、奥州出羽の国新庄山の城主 戸沢経義の祈願により、著名な仏師安阿彌(快慶)がひっ生の丹精込めて一本の五葉松から仕上げたとされる。(中国新聞記事・その他参考資料より) (昭和24年9月30日 中国新聞記事)

■1869年(明治2年)

福昌寺が越後(新潟県)に移転され廃寺に、残された大仏は土地の素封家今泉氏が守護する。廃仏毀釈の難をさけるため頭首と胴体を分離し、頭首は東京(麻布飯倉三丁目)に保安、胴体は山形県(山形市横町)に安置となる。 (広島県佐伯郡八幡村 村史より)

■1925年(大正14年)

饒津神社前の三寿園

三段峡紹介者の熊南峰氏の勧めで、大仏を入手し三段峡の守り本尊に迎えようとの議に、後藤吾妻氏が共鳴、12名の同志者と出資し大仏を購入。仮殿を設け、頭首と胴体を一体にし安置。戸河内町柴木の西善寺に樽床への移動までの間安置。

■1926年(大正15年)

樽床(三段峡)

三段峡三つ滝の上(博物館の位置)に本堂建立を予定し、馬車3台にのせ、手縄を付けて傾くのを守りながら運び、院居(当時峡北館と称えられた)の裏山に安置。その後、戦争の激化・緊迫化の影響を受け本堂の建立には至らず20余年樽床に安置される。

■1949年(昭和24年)

唯信寺

後藤吾妻氏から一切を託された佐伯郡大柿町の那須義憲氏が、原爆犠牲者・戦争犠牲者を弔う広島供養塔の本尊として迎えたいとして、三段峡名勝保存会の賛意も得て、九月樽床より広島市舟入の唯信寺に移送。その後広島大仏と称される。

■1950年(昭和25年)

西蓮寺

7月に会長中山良一氏(当時の本通り会会長)と副会長佐部佐一郎氏をはじめとする本通り会の有志10名からなる大仏奉賛会が結成され、大仏の管理が一任される。大仏奉賛会は原爆ドームの東側の西蓮寺(現在より原爆ドームに近い位置にあった)境内に仮大仏殿を建て、8月4日唯信寺から西蓮寺へ移送。
移送の際にはホラ貝隊を先導に花に飾られた特別車を安佐郡戸山村の名牛5頭が引き唯信寺を出発、パレードを行いながら西蓮寺へと向かう。仏旗や稚児(400名)や詠歌隊などからなる列に守られ、舟入 → 十日市 → 紙屋町の電車通りを経て八丁堀 → 金座街 → 本通り → 西蓮寺の順で進んだとされる。
尚、安置されてからは原爆記念日と言われていた毎年8月6日に盛大な供養が行われていたとされる。西蓮寺で行われた夏祭りには何千という市民が線香やお花をあげるなど市民にとっては大変親しみ深いものとなったと当時の資料に記載されている。

パレード後の集合写真 西蓮寺境内(原爆ドーム東側)に建設された
大仏殿前にて撮影。 写真は遺族の提供。

■1955年(昭和30年)

光禅寺

当時原爆ヒロシマの絵葉書で全世界に紹介されていたり、ヒロシマを訪れる観光客は、観光バスの案内嬢の説明で必ず見物していく有名な大仏となっていた。昭和30年8月6日、日蓮宗増田管長をはじめ、各派合同の僧侶30名あまりが導師となり、市民数百名が参列する一大法要が営まれ原爆犠牲者や戦争の犠牲者の供養が盛大に行われた。
大仏奉賛会の名誉会長として籍を残していた那須氏と奉賛会との間で、昭和29年頃から所有権を巡る争いがあり、一大法要の数日後にあたる昭和30年8月11日日中に那須氏により西蓮寺から大仏が持ち去られ、佐伯郡五日市町の光禅寺に移送される。

■1960年(昭和35年頃)

所在が不明となる。

■2011年(平成23年)

極楽寺

極楽寺に祀られている大仏が古書に載っている広島大仏の写真と似ていることより、奈良国立博物館の稲本泰生氏や企画室長(仏教美術史)らが調べ、同一の大仏であることが結論付けられる。(胴体に比べ大きく作られた頭部の形や顔の表情、衣のひだの形状などから、同じ仏像であるとのこと。)広島大仏の御前での法要としては半世紀振りとなる、2011年8月6日第一回目の広島大仏平和祈念式典を大仏のお膝元、真言宗極楽寺(奈良県生駒郡安堵町東安堵1453)にて行われる。

極楽寺

■2013年(平成25年)

【極楽寺住職、広島市長と対談】

極楽寺から広島大仏平和祈念式典芳名帳の進呈などにより、広島市と極楽寺の交流は続いている。2013年、極楽寺住職が広島市を訪れた際には広島の松井市長との対談が実現。以降、毎年極楽寺で8月の広島大仏祈念式典の際には、市長メッセージとして戦争・核兵器の廃絶を求める市長の想いや式典を続けて欲しいという激励の言葉が届けられている。

広島大仏のゆかりとなる西蓮寺(現在は広島市中区)、光禅寺(広島市佐伯区)と極楽寺は、2011年の広島訪問以来、情報交換や光禅寺へ極楽寺のある奈良県安堵町の小学校が修学旅行で訪れるなど親交が続いている。極楽寺で行われいる8月の式典では、町やボランティアの方々・極楽寺の本山も来られ年々盛大なものとなってきており、毎年多数のマスコミがその様子を伝えている。

極楽寺では広島大仏の歴史をだどり、広島 への訪問や当時の様子を知る方との交流を続け、毎年、広島大仏平和祈念式典祈念式典を継続。現在の平和な日本の暮らしの大切さや戦争の恐ろしさ、原爆の悲惨さを知り、忘れてはいけないこの日本の歴史を広島の方々と後世へと伝えていかなければという想いもあり、広島大仏の一時的な里帰りを企画し、より詳細な広島大仏の歴史をたどっていくことを構想。

■2021年(令和3年)

田中住職が9年前に発願し、実現の方策を探ってきた広島大仏出開帳の夢が、前年広島南ロータリークラブで行った[出開帳についての講演]をきっかけに立ち上げられた、広島大仏出開帳実行委員会によって実現されることになる。

■2022年(令和4年)

7月1日から9月1日まで、広島大仏出開帳 里帰りプロジェクト実施